先日飛び込んできたニュース。
驚かれた方も多いでしょう。
以下は私個人の意見です。
批判や反対意見が存在することは理解した上で書こうと思います。

初めて”HIROSHIMA”を聴いた時、
全聾とか音楽教育を受けていないという前情報が無い、
全く真っ白な状態でした。
お料理をしている時、
突然手が止まって”これは誰の曲だろう”と、
そのままテレビの前に座りました。
この世の全ての曲を知っているわけではないので、
“あー、また私の勉強不足だ”という気持ちしかありませんでした。
気が付いたら泣いていました。
それが全てで私の第一印象です。

そのあと、作曲家とされる人物の詳細な情報を知りました。
何より驚いたのは、
ほとんどの様式を使い果たし、
あとは無調の世界しか残っていないのかという現代において、
現代の作曲家が調性音楽で勝負し、聴衆の多くが涙を流している映像でした。
混沌、受難、暗・・・などを表現しようとする時、
私は無調の世界のほうがより近く感じます。
しかし、音楽の専門知識が無いけれど、
音楽を本当に必要としているかもしれない多くの人々には、
寄り添いたいと思う気持ちが作る側に強く深くあっても、
無調の世界は”わかりにくい””良くわからない”という感想を持たれるのが現実だと思います。

グレゴリオ聖歌のように・・
マーラーを織り込んで・・・
そんな数々の指示(意図)があるなかで、
それをただ単にパッチワークする作業は、作曲家ならできると思いますが、
パッチワークにも色々なレベルがあります。
切り貼りしただけの曲だと、強く批判している方が存在することも知っています。
しかし現代において、オリジナリティーを入れ調性音楽を作曲した時、
“ここはバッハだ!”
“ワーグナーだ!ブルックナーが出てきた!”と分析されるのは仕方の無いこととはいえ、
たったそれだけの分析しかできないことは、分析する側のレベルが問われる気がします。

最も残念だと思ったのは、
広島や原爆、震災、障害という最も”弱”であり”デリケート”な部分を嘘で売り物にしたこと。

それに加担している罪の意識が強く、
それに対する認識が限界に来たことも、
今回の決断の一つの理由でもあるでしょう。

新垣氏の作曲家としての技術(という言葉は適切ではないかもしれませんが)は、
断じて低いものではありませんし、というより極めて高いと思いますし、
音楽を愛する心は、会見を通して本当に純粋なものに思えます。

HIROSHIMAは生で聴いていませんが、
弦楽四重奏などは昨年、生で聴きました。
私は佐村河内氏の曲に感動したのではなく、
新垣氏の曲に感動したということになります。

罪だと思うのなら。。。
素晴らしい人たちを育てることに今まで以上に力を注ぎ、
知識と技術、そしてオリジナリティーを存分に込めた曲を、
ご自身の名前で更に世に送り出してほしい、
私は心からそう願います。