小学生の頃、ピアノをやめたいと真面目に思った瞬間がありました。
ちょうど、バッハの三声が宿題に出始めたころです。
「わけわかんない」の一言でした。
何で手は二本しかないのに、三つの声部をどうやって弾けというの!!
ここにもテーマがある・・あっここにも・・あっ、重なっている・・無理・・絶対に無理!!

そのころは、のちに四声、五声が登場し、さらに苦しくなることなんて知りませんでした。
目の前の三声に・・・逃げ出したい一心でした。

両親は私に「勉強しなさい」「練習しなさい」という、
この2つのセリフを言ったことは一度もありません。
その話を周囲にすると「すごい」とか「言われなくてもやっていたんでしょ」と言われますが、
それは全然違います。練習なんて大嫌い、
レッスンの前の日にちょこちょこっと弾く程度でした。(こんなこと書いたら、まずい・・かな)

優しく微笑み、忍耐強く、何度も説明・・・私の習った先生方は、全く逆の方たちばかりでした。

中1の時、ショパンのスケルツォ1番の最初の劇的な和音を弾いた瞬間、
「帰りなさい」と楽譜を閉められたこともあります。
「今、来たばっかりなのに!!」ショックで、ぽろぽろ泣きながら帰りました。

高校入学直後、周囲が華やかな曲を練習している中、
すべての曲から離され、
ひたすら一から基礎練習からやり直す、という日々を送ったこともあります。
先生が厳しくて、何日も何日も泣き続けました。

ドイツでは、苦手なベートーヴェンのピアノコンチェルト3番を弾いていて、
「misa、あなたはどうやって弾きたいの、どうしたいの?」と言われ、
「私にもわかりません、全くイメージが湧きません」と答えたこともあります。
テクニックより心、練習量とは全く関係のない部分での葛藤でした。
この曲に関しては、卒試で弾きながら、
「やっぱりわからない」と、心が苦しかったことを覚えています。

やめたい、逃げだしたいと思ったことは、何度も何度もあります。
結局は、好きだったからやめられなかったということですが、
時間の経過とともに、
良かったこと楽しかったことだけでなく、
苦しかったことも自分の礎になっていることがほとんどだ、
ということに気が付きました。

不思議なことに、バッハの三声、
今でも弾いてみること多いんです。
今だからこそ、その意味と良さがわかるんですけど。
やめなくて良かった、と純粋に思う瞬間です。